特紡績 特紡 反毛 ガラ紡績 ガラ紡
特紡糸について
紡毛糸
沿革
わが国に毛織物が輸入されたのは元亀・天正(織田信長・豊臣秀吉の時代、1570〜
90年)の頃、ポルトガル、スペイン船が羅紗(ラシャ)を持ち込んだのが始めで、当時は
貴重な織物として陣羽織等武具として用いられた。また、毛織物の製造は文化2年(18
05年)に、長崎奉行が肥前浦上村(長崎県)で、もうせんを織られたのが最初である。
明治3年(1870年)に兵制が確立され、洋服は羅紗ときめられ、警察官、郵便局員、
国鉄職員も制服は織物と定められ、次第に一般でも着用されるようになった。こうした
需要に対処するために、明治12年に官営の羊毛工場が建てられた。
これがわが国における羊毛工業の最初である。
一方、三河地区としては、大正元年に現在の岡崎に朝日町に澤田綿毛工場(現在の
澤田毛糸紡績(株)が設立されたのが始めであり、第二次大戦頃から後続の会社が順
次設立されていった。昭和30年代になると、紡績等の過剰設備による慢性的不況が続
いたため、通産省は繊維工業の国際競争力の強化と合理化による体質強化を促進す
る目的を持って、「繊維工業設備臨時措置法」(31年公布が繊維旧法、39年が繊維新
法と呼ばれた)が施行された。これは、設備の登録や余剰設備の格納、買い上げ制度
実施などのほか、新増設に一定の制限を加えようとしたもので、このために高生産生を
求めて、和紡糸→特紡糸→紡毛糸製造へと近代化された紡績への転換が進んだ。
業界の特徴
県下の紡毛糸生産量は、全国の約33%を占め、なかでも岡崎地区は県下のおいて、
最も高いシェアをもつ産地である。
岡崎地区では、昭和20年代頃までは原料を購入し製品を販売する業者が大半であ
ったが、工賃仕事の方がリスクが少ないため、昭和30年代に大手業者から紡毛の権利
を譲り受けた際に、その大手業者の工賃工場的な関係となったものが多く、現在、当地
区の約70%の工場が工賃紡績業者として操業している。
一方、全国ベースでは自ら原料を購入し、製品を販売する手張り業者が多いといわれている。
製品知識
紡績には綿紡績、毛紡績、スフ紡績等があり、このうち毛紡績は梳毛紡績と紡毛紡績に
代別出来る。
特紡糸
沿革
特紡糸は、三河木綿の問屋資本がガラ紡糸を手掛けたことが始まりといわれ、岡崎
地区では、大正3年頃に澤田豊作(澤田毛糸紡績株)(先代社長)、鈴木鋭次郎、内山
積作の3氏が共同して操業したのが最初と伝えられている。
昭和30年の初期に厳しい繊維不況が起こり、翌年10月、繊維工業に対し設備近代
化に係る地区別臨時措置法が施行された。この臨時措置法は、戦前戦後を通じて発
展してきたガラ紡から特紡への転換(和紡設備10錘に対し特紡1錘の転換)を促す基
となり、特紡への製造へ切り替える業者の数が増えた。
第2次オイルショック(昭和53年秋)以降54年半ば頃までは、仮需による一時的な生
産増加がみられたものの、それ以降業界は企業数、設備錘数、生産量ともすう勢的に
は縮小方向を促辿り、今日に至っている。
業界の特徴
業界の企業規模は、1000錘未満が7割、1000錘以上が3割で、2000錘を超える企
業は数社となっており、企業の大半は、従業員10名程度の小規模企業が占める構成と
なっている。
小規模企業が多いことから、当初は、リスク負担の大きい手張り業者(自ら原料を購入
し製品を販売する業者)は少なく、大部分の業者が、大手紡績メーカ、商社等の工賃仕
事を手掛けていたが、近年、作業手袋用糸を中心に手張業者が多くなっている。
愛知県下での企業の分布をみると、岡崎地区が中心で、全体の7割強を占めている。
他では、安城、西尾幡豆豊田地区等、近隣に散存している。
製品の用途
特紡糸の特徴としては、ソフトでボリューム感があり、最終製品では、かさ高で風合い
に優れたものができあがるまた、多様な繊維を紡糸出きることから、再生繊維である反
毛綿を原料とする場合が多く、リサイクル的な側面も強い 製品用途は、作業手袋(軍手)
向けが主力になっている。また風合いの良さを生かし、カジュアル衣料、インテリヤ関係、
自動車の内装材(フェルト)などいろいろな用途に使われている。
反毛(はんもう)
沿革
岡崎地区の反毛業の歴史をみると、明治中期までは三河地方で取れた綿を三つ行燈
(反毛機の最も初歩的なもの)と呼ばれるもので、三河木綿の前工程を行っていた。しかし、
明治の末期に英国からブレーカー機が輸入されてからは綿に屑布地を混ぜるようになり、
現在の反毛の基礎が出来、ガラ紡の前工程を受け持つようになった。
尚、当地区での反毛機の起こりは、大正中期に当時の鍛冶屋などが中心になり輸入の
ブレーカー機に改良を加え、廻切機を作ったのが始めといわれている。また、当時は、
反毛という言葉が無く、弾綿と呼ばれていた。ちなみに反毛という言葉は昭和12年頃か
ら一部で使われ出した。
反毛は、紡績業との関連が強く、紡績業がガラ紡から特紡へと転換するにともない、
紡績業の前工程業として発展したなを、当時反毛製品は主に足袋底、帯芯、製綿、
綿毛布などに使用された。
反毛業が最も繁忙を極めたのは満州事変(昭和6年)に始まり第二次大戦の間で、
軍の特需や物不足からの需要が旺盛で、作れば売れる時代であった。また、戦後し
ばらくは寝具・衣料品の需要が大きく、紡績業とともに活況を呈した。その後、反毛機
も改良され自動車資材のフェルト向けをはじめとして需要も多方面にわたるように
なり、現在に至っている。
業界の特徴
当業界は繊維産業の中にあっても、小規模性が極めて強く、中部反毛工業共同組合
員146企業(商業部門を含む)をみると、従業員5人以下の企業が8割以上を占め、
家族労働力が中心となっている。
こうした背景としては、生産工程が比較的単純で設備等も多くを要しないことがあげ
られる。
また、資本力が相対的に低いことから、自らの資本で原料を仕入れ、製品化して販売
する手張りの業者は一部で、大半は問屋の工賃下請けの形態(約8割といわれる)と
なっている。
製品知識
反毛業とは、紡績・織物工場から発生する糸くず、縫製工場から出る裁断くず、あるい
は一般家庭から回収された古着などを原料とし、反毛機を使用してもう一度綿状にほぐし
、再生するというリサイクル産業である。
なお、製造工程の違いにより、廻切反毛業者とガーネット反毛業者に二分される。
廻切反毛では廻切反毛機を使用して、製品の仕上げを行うのに対してガーネット反毛は
廻切反毛機で半製品化し、ガーネット機で仕上げを行う。このため、ガーネット反毛では、
やや能率が劣るものの、しっかり綿状にされ、昭和30年代合成繊維の開発に伴いふとん
綿向けなどの分野で活況を呈した。
最近では、フェルト向けに転換が進んでいる。
近年の反毛綿の用途は、糸向けと、フェルト向けが大半を占める。 糸向けの大半は
特紡糸となり、主に作業手袋の原料として使われている。
一方、フェルトは、昭和30年頃から手掛けられた、モータリゼーションの発達や生産の
洋風化を背景に用途を拡大した。
現在では、自動車の内装材を主力に、ベットの緩衝材、スピーカーの吸音材、カーペット
のクッション材、運道具用(グローブ、マットの中など)や事務用品(マジックインキの芯)
など数え切れないほどあり、変化に富んでいる。
また、土木関係資材〔道路の下、河川の護岸など)にもかなり代われている。
生産状況
反毛業を営んでいる業者は、県下では岡崎に大半が集まっており、生産量は、約5万トン
(年間)と見られている。
また全国的には、岡崎地区(全国に占める生産割合は約7割)のほか、大阪の泉南地区、
九州、中国地方に存在している。
ここ数年の生産量は減少傾向で、業者数の減少も見られた。 反毛綿を使った各種製
品の輸入増加が主な要因である。
一方、国内の紡績、縫製工場の規模縮小から、繊維屑の発生が減少してきており、
安定した原料確保が課題となっている。
繊維屑のリサイクル.ルート
各家庭(古繊維) 繊維工場(繊維屑)
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繊維原料回収者 繊維原料回収者
選別 産業廃棄物処理業者
\ 選別
\ /
繊維原料商
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反毛工場.ガーネット工場 ―― クッション.つめ綿
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フェルト工場 |
| 紡績工場
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作業手袋 カーペット カーテン モップ ベッド
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